後ろ向きで前へ進む
映画『三丁目の夕日』*1を観た。それほど期待していなかったけれど、これが意外に楽しむことができた。
東京タワーが完成した頃だから、この映画の舞台は1958年頃だろう。物質的には決して豊ではない。ご近所さんがテレビを買えば町中の人が集まり、お祭り騒ぎになる。オヤツは決まって蒸したさつま芋。子供たちはドロドロになりながら走り回り遊んでいる。「もう戦後ではない」と云われるが、人々の心には戦争の記憶がまだくっきり残っている。
ところが、人々の顔は明るい。日々の生活を事細かに見ていけば、辛いこと、大変なことも多いだろう。でもこの時代には、世の中がもっと豊になっていくという希望があった。毎日がんばって生活していれば、もっといい暮らしがまっていると信じることができた。
今年の夏の終わり、息子の部屋をつくるために、たくさんの物を整理し、まだ使うことはできるけれど、今後まず使うことはないだろうと思われるものをたくさん捨てた。ホントすごい量だった。
そのあと、お茶を飲みながら一休みしている時、こうしてたくさんの物を捨てていることに対して快感を覚えていることに気づき、違和感を覚えた。この場面で本来おこるべき感情は「罪悪感」じゃないだろうか。もったいないな、と。
時代が進むにつれて、いろんな技術が発達し、どんどん便利になっていることは間違いない。物質的にも豊かになり十分に満たされている。でも、それで本当に幸せになっているのかどうか、と考えると少し暗い気分になった。
『三丁目の夕日』のラストシーンに、「明日だって 明後日だって 50年先だって ずーっと夕日は綺麗だよ」というセリフがあった。ボクたちは今、この言葉を心に一点のくもりもなく云うことができるだろうか。
*1:レンタルDVD。