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―にとべさん―

 

小網の甚兵衛と出会う

鬼平 対 甚一』植草甚一晶文社)を500円で買う。

この本は、1976年3月〜12月に朝日新聞社から刊行された『池波正太郎作品集』全10巻の解説として付されたエッセイをまとめたものが主となっている。


たいがいの植草さんの本は入手済みなのだが、時代小説が苦手だということもあり、本書にも古本屋などで何度か遭遇はしていながら、平野甲賀デザインの表紙を眺めるだけでスルーしていた。

ところが今回は、古本屋の棚から抜き出し、冒頭の数行を読み、即購入した。


少し長いが、その数行を引用してみる。

きょうから始めるこの仕事が、どうにか片付くまでの三日間ばかり、ぼくは自分を小網の甚六とか甚兵衛とでも呼んでやろうと思った。そのほうが「鬼平犯科帳」をたのしんだあとで何かしら書いてみようとするとき、なんだか調子が出そうな気がしたからである。
ゆうべ新宿の東口裏通りを突っ切ろうとして向こうの暗がりのほうまで歩いて行くと、その角の手前に古本屋の鈴平があって、まだ明かりがついていた。それでなかに入って安い本を三冊買い、もう一冊高いやつを思いきって買った。昔の値段にすると一両だった。そんなにはしないかもしれないが、とにかく一両だなと思い、いまどきの本屋にしては珍しい鈴平という屋号も、外へ出て歩き出すと愉快になってきた。そのときこっちも小網の甚六とか甚兵衛とかになりたくなったわけだ。


《ぼくは自分を小網の甚六とか甚兵衛とでも呼んでやろうと思った》や《昔の値段にすると一両だった》といった部分が妙にツボにはまり、棚の前で肩をヒクキヒク震わせてしまった。

そうやんなあ、植草さんの文章は対象が時代小説だとかいうことは関係ないんだよな。それはもう植草甚一のエッセイでしかないんだから。