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―にとべさん―

 

感性のリセット

いずれ我が身も (中公文庫)
色川武大『いずれ我が身も』(中公文庫)に収められている「養女の日常」というエッセイを読み感じるところがあったので紹介します。

私(著者)のカミさんが4〜5日家を留守にする間、知り合いの女性が毎日家事などを手伝いに来てくれた。その時の彼女の日常生活(料理など)においての振る舞いに、少々のことでは物驚かない私が、何度か彼女に驚かされた。例えば、料理する時に、いつもガスを全開にして、米や食材をだいなしにしたなど。しかし、彼女は決して浮ついた娘などではなく、とても物堅いお嬢さんで、私はもう何年も前から職場での彼女の静かな動きを好ましく眺めていた。

そして、次のような会話がある。

「あのね、俺はもう年だからね、この先何回食事ができるだろうかと思う。何回かわからないけども、とにかく有限の一回だから、贅沢というのじゃなくて、いいかげんでないものを喰いたい。食事ばかりじゃなくて、何事につけ、できたら、仕事と同じように、気を入れてやりたい。なかなかそうもいかないがね」
「なんだか、ご迷惑かけちゃったようで、すみません」と彼女はいった。
「いや、料理の話じゃないんだ。貴女は若いからその実感はないだろう。でもこの部屋にたった二人しかいなくて、もうそれだけ実感がちがう。そのことをなめない方がいい。その癖がつくと貴女が今後やろうとすることがみんな不正確で雑なものになってしまうからね」

このあと著者は書く。

「彼女はまず自分の日常をなめて、恣意的なものにした。自分一人の生活の中では特に破綻はおこらぬし、個性的にも見えたであろう。その点では私も大同小異だ。しかし他人の日常に入る折に、感性をいったん原則に押し戻さなかったために、自分と同じく私の日常をもなめることになった。その方向があぶない。(後略)」

長々と引用しましたが、ボクは最後の部分の〈他人の日常に入る折に、感性をいったん原則に押し戻さなかった〉という箇所を読み、最近の電車の中での光景が思い浮かびました。車内で何のためらいもなく化粧をするヒト、大口をあけて物を食べるヒト、ドアにもたれかかり床に座りこむヒト、デカイ声で電話するヒト、などなど……。たぶんあのヒトたちも、感性をいったん原則に押し戻さないまま電車に乗り、ああいった振る舞いをしてしまっているのでしょう。

そして他人事ではなく、ボク自身もこの言葉を御守りのように大事に胸にかかえ、生活していきたいと思ったのです。