冷えた体を熱風で温める
夕方、父が入居している施設へ行く。
部屋で一時間ほど話をし、1階の食堂まで車イスを押していくと、同じテーブルの人たちに「息子さん、お父さんとよう似てるなあ。声もそっくりや」と云われる。これは毎回のお約束。
「そ〜ですかあ。自分ではあんまり分かりませんわ〜」とコミュニケーションのきっかけになるので、それはそれで良いお約束だと思っている。
そんなことを考えながら外に出ると、真冬のような冷たい空気がせまってくる。寒いなあ。家から歩いて10分ほどの距離とはいえど、それでもやっぱり辛い季節がやってくる。
夜は足もとを暖かくして、スタジオジブリのPR誌『熱風』に連載されている、落合博満「戦士の休息」を読む。この連載は毎回楽しみにしている。ほんとおもしろいなあ。文章も上手くて読みやすいし。
少し深く掘ってみれば
星野源ライブ(Zepp Namba)を観てきた。
ふつうライブに向かう道中は、その日にみるアーティストの音楽か、それに連なるものを聴くことが多いのだけれど、星野源に関しては、なぜか本を読みながら向かうことが多い。
もしかすると彼の音楽を聴くまえには、いっさいの音を排除したいと無意識のうちに思っているのかも分からない。
そしてライブでは、いきなり2曲目で大好きな「くせのうた」をやってくれ、それで完全にもっていかれたので、あとは彼の歌声にゆらゆら身を任せるだけ……。予定外のダブルアンコール(2階指定席の客の1/3は帰っていた)もあったりして、ほんまに素晴らしいものだった。
前回、サンケイホールで観たときには、ほんと若いひとばかりだったように感じたが、やはりファン層が広がったからなのか、今回は観客の平均年齢が少し上がっていたように感じた。
彼のことを語るとき、よく云われる「癒しの音楽」という言葉に、いつも違和感を感じている。たしかにそれも彼の音楽の一面ではあるが、でももう少し深く掘り下げたところに彼の音楽の音質があるように思う。
彼が書く歌詞には、日常のわかりやすい言葉が多く使われているので、そういう風に解釈されるのだろうけれど、そのやさしい言葉と言葉のすき間には、ぼくたちに見えているのとは少しずれたセカイが広がっているのではないだろうか。
それがどんなセカイなのかは、ぼくにもまだ分からないのだけれど……。
うーん、ちょっと考え過ぎかなあ。
寸止めの空
昨日につづき、今日もまた今にも泣きだしそうな空模様。
どうにも動きにくくこまる。
おととい木曜日、天神橋筋三丁目の古本市に行ったが、なにも買えず。
しょんぼりと斜め向かいのT書店へ行き、店頭均一台で『定本 草野天平詩集』を買った。
先月、Pippoさんがラヂオ出演されたおり、草野天平の「子供に言ふ」という詩を朗読され、それが印象に残っていた。
子供に言ふ 子供よ ここへお坐り お前はさつき石をもつて喧嘩をしてゐたね さういふことではいけない 石をお捨て 人は少しでも自分と違ふ力をかりてはいけない いつかも一緒に歩いてゐる時 お父さんがゐるんだぞと言つてゐたことがあつた 自分はああいふ時 本当はお前のそばにゐないのだ あの子がお前より強ければ 強いやうに打てばいいと思ふし お前が強ければ強いやうに やはり普通に打てばいいと思ふ 勝つのもいい 負けるのも又いい 勝つても威張れないし 負けても威張れないものなのだ いいか わかつたか
いい詩だとおもう。