佐久間文子『ツボちゃんの話』(新潮社)
たぶん佐久間さんは相当の覚悟をもってこの本を書かれたのだろう。
こうして坪内さんのことを語ったものや、ご自身が雑誌などに発表した文章がまとめられ、それを読めることは嬉しい反面、そうしたものが出るごとに、坪内さんの不在がどんどん確かなものになるような気がして、すこし寂しくもある。
ある古本屋の閉店セールで買った本のリスト
近所の古本屋が一か月ほど前から閉店セール(店内商品すべて100円。例外なし!)をやっていたので(昨日6日で閉店)、まめにのぞいて少しずつ買っていたら、全部で12冊になった。硬軟とりまぜ、いい感じになったんじゃねえ、と自分では思っている。
『忘れない味』平松洋子・編(講談社)
『日常学事始』荻原魚雷(本の雑誌社)
『乙女の密告』赤染晶子(新潮社)
『佐渡の三人』長嶋有(講談社)
『飲めば都』北村薫(新潮文庫)
『不当逮捕』本田靖春(岩波現代文庫)
『恋文・私の叔父さん』連城三紀彦(新潮文庫)
『紋切型社会』武田砂鉄(新潮文庫)
『正弦曲線』堀江敏幸(中公文庫)
『本の花』平松洋子(角川文庫)
『BUTTER』柚木麻子(新潮文庫)
『村上さんのところ』村上春樹(新潮文庫)
25年前の小説に現代をみる
今では疫病だの流行病といったもの、それ自体が、流行遅れになってしまった感がある。いざ新しい疫病が流行りだしたとき、対応する知恵を人々は身につけているのだろうか。いや、人々だけではない。役所や病院も迅速に手を打つことができるのだろうか。
脳炎発生から二カ月が過ぎてみれば、サラリーマンは普通通りに通勤し、農業従事者は畑に出て、主婦は必要最低限の買物をするようになった。人間の緊張感や注意力などというものはいつまでも続かないし、それ以上に生活上の必要がある。自分だけはだいじょうぶ、そんなにひどいことにはならないだろう、と楽観視して普通の生活に戻ろうとする
・篠田節子『夏の災厄』(角川文庫)
1995年に毎日新聞社から書き下ろしで出版されたときにも面白く読んだ記憶はあるが、この状況下で読むと面白く、且つ、より切実なものとなった。
そして一番怖いのはウイルスではなく、やっぱり人間であることを再確認した。
文庫にして600ページを一気読み。
読書メモ
森内俊雄『道の向こうの道』(新潮社)を読んで気になったところをメモしておく。
43〜44ページ
五月になった。わたしは「車」という詩の同人誌を創刊した。巻頭詩として、大阪YMCAの「詩のクラブ」で知遇を得た詩人港野喜代子の作品を掲載した。その詩は、この詩人の集大成である編集工房ノア刊『港野喜代子選集』からも洩れている。ここに再録しておこう。せめてもの恩返しである。
結晶
私のこころに
あなたのこころに
太古の生きものの残した証拠がある幾百万年 幾億年
耐えて来たのは人間だけではないわずかな生涯を コップの中の
泡くずに浸っていたのでは
洪積世直前の氷河の動きはききとれない常に大地の胸かき破って つかみだした
濁ったものをも順々に並べてみよう煙色の水晶だってあるんだ
氷河の来る前に
人間の わびしい言葉を うんと集めて置こう(若人に おくる 一つ)
149ページ
大阪へ帰った翌日、心斎橋北詰にある駸々堂へ行った。年の暮の気配は書店のなかへも立ち込めていたが、それでかえって新刊本の並びが楽しかった。ここには読書の沃野があった。それから道頓堀まで歩いて天牛書店へ行った。
ここで不思議な古書を見つけた。直木三十五『大阪物語』がのどかな函カバーにくるまれて、均一価格の平台にあった。本を手に取って、一冊を引き出すと、装幀は矢野橋村とあって、呉服模様を思わせる典雅なくるみのカバーがかかっている。手がこんでいて、外函、本表紙ともに装画のカバーでくるまれている。それを剥ぐと丸背の表紙は水色の布クロスで、そこに樹幹に取り付いた蝉が金箔押しで描かれていた。風流な侍が身をやつして花柳街を散策しているところを連想した。一目で気に入ったものの、カバーをはずした本体は、昭和九年七月に刊行された改造社版直木三十五全集の第六巻である。本文は二段組みの総ルビだった。なんだかよく分からないが、安価なことと読んでみたくもあるので、買うことにした。お金を支払っていると、店主らしい人が微笑しながら言った。「学生はん、見つけものや、古本のおもろいところでんな」
- 作者: 森内俊雄
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2017/12/26
- メディア: 単行本
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